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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和50年(う)198号 判決

被告人 坂田清孝

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人野崎賢造名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

所論は要するに、本件交通事故は、原判示荒井伸子の交通法規を無視した運転による一方的過失に起因して惹起されたもので、本件の具体的状況の下において、被告人に原判決認定のような過失を認めるに足る証拠がないのに拘らず、被告人に対し有罪を言い渡した原判決は、事実を誤認し、ひいて刑法二一一条の解釈適用を誤つたものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というに帰着する。

所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、原審並びに当審において取り調べた各証拠を総合すると、(一)被告人は昭和五〇年四月一三日午前一〇時三〇分ころ普通乗用自動車を運転し、富山県婦負郡八尾町妙川寺一一四番地付近の幅員約三・九メートルの下り坂(勾配約一〇〇分の八)になつた非舗装の道路を妙川寺方面から八尾駅前方面へ向い時速約一五キロメートルで下る途中、右方に約九〇度大きな弧を画いて湾曲しており、かつ右側の建物や庭木等で見とおしの悪くなつた該カーブの手前にさしかかつた際、たまたま右側の庭木の間を通して下方から対向してくる荒井伸子運転の普通乗用自動車を右前方直線距離で約三二メートル(検察官作成の実況見分調書〈ロ〉~〈1〉間)に発見したので、直ちに制動措置を講じ約四・八五メートル(同調書〈ロ〉~〈×〉間)進行した地点で一時停車したこと、(二)当時、右道路は前記の如く非舗装で砂利道であり、特に、被告人の進路左側は通行車両等によつてはね寄せられたと認められる砂利が道路左端沿いに内側へ約〇・七メートルの幅で帯状の砂利だまりを形成して路端が不明瞭な状況になつていて、平素同所を通行する車両は右砂利の部分を避けて該カーブの内側寄りに通行していたことが窺われ、被告人も道路のほぼ中央部を走行してきたので、前記停車した際は、自車(車幅一・四九メートル)の右側に約一・一メートル、同左側に約一・三メートルの幅の道路部分を余した位置に停車したこと、そして、被告人としては、道路左端沿いに溝があつて砂利で埋まつているように思い、また道路の見とおし状況等からみて対向の荒井車においても当然減速徐行してきて自車の直前で停止するものと考えたため、自車を殊更左側の砂利の部分に寄せることなく、前方約一八メートルを見とおせるカーブの手前で停車したものであること、(三)しかるに、荒井車(車幅一・五九メートル)は、被告人の予期に反し、かかる見とおしの悪い個所において減速徐行することなく、時速約三〇キロメートルのまま進行を継続したため、同車右前部を前記停車中の被告人車の右前部に衝突させたうえ更に約三・五メートル前進し、他方被告人車は後方へ約四・一メートル押し戻されてそれぞれ停止したこと、(四)右の事故により、右荒井は加療約四三日間を要する外傷性頸椎症等の、被告人は加療約七九日間を要する頸椎捻挫の各傷害を負つたことなどの各事実が認められる。

以上の認定によれば、本件事故現場付近の道路は、当時、砂利道で車両通過のための有効幅員が狭く、かつ道路が九〇度に大きく湾曲していて見とおしの悪い坂道であつたところから、右坂道を下つていた被告人が該カーブの手前にさしかかつた際、たまたま右側の庭木の間から対向車が接近するのを認め、直ちに制動措置を講じて一時停車したことは、それ自体対向車とのすれ違いの安全を考慮した適切な措置と認められる。ただ、本件においては、道路のほぼ中央部で一時停車した被告人の措置が、更に左側に寄つて停車すべき注意義務に違反したと認められるか否かであるが、被告人の進行方向左側には前記の如く道路左端から内側へ約〇・七メートルの幅で砂利が敷きつめられたようになつていたことなどの道路状況に徴すれば、被告人車の進路が道路左側に寄つていなかつたのはやむを得なかつたものと推認されるのみならず、被告人が殊更左側へ自車を寄せることなく停車したのは、右のように左側の道路状況が悪いうえ、対向車も当然徐行してくるものと信じ、徐行してくれば自車の直前で停止することが期待できるとしたためであるが、被告人が右の如く予期したのは無理からぬ点があるので、被告人の右停車位置についてこれを咎め、注意義務違反を肯定することはできないと考える。けだし、本件事故現場は、先に説示したように湾曲していて見とおしの悪い坂道であるから、上下いずれの方向より進行する車両にとつても徐行すべきことは道路交通法四二条二号の規定に照らし疑問の余地はなく、従つて、荒井車においても該カーブにさしかかつた際は徐行すべきであり、更に前方注視を尽くして徐行しておれば被告人車の直前で停止するなどして十分衝突を避けることができた筈であるのに、荒井車は軽率にも徐行を怠り、時速約三〇キロメートルのまま進行を継続して停車中の被告人車に衝突したものであつて、この場合、被告人においてあらかじめ一時停止をなすに際し、右荒井車の如き交通法規に違反して走行してくる車両があることまでも当然予測し、これに対処して、自車を左側に寄せて一方的に事故回避のための避譲措置を講ずべき義務は本件の具体的な道路状況の下では存しないというべきである。そして、本件は証拠上、被告人において荒井車が徐行しないで進行してくるのを知り得た時点では、も早や衝突回避のための有効な措置を講ずることは不可能であつたものと認められる。そうとすれば、本件は被告人の対向車の運転者である荒井の徐行義務を怠つた一方的過失に起因して惹起された衝突事故であつて、被告人に原判決認定の注意義務違反を認めることはできない。

以上のとおりであるから、本件について被告人の過失責任を肯定した原判決は、事実を誤認し、ひいて刑法二一一条の解釈適用を誤つたものであり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所において更に判決する。

本件公訴事実の要旨は、被告人は、自動車運転の業務に従事する者であるが、昭和五〇年四月一三日午前一〇時三〇分ころ、普通乗用自動車を運転して、富山県婦負郡八尾町妙川寺一一四番地の一付近道路(幅員約三・九メートル)中央辺を、時速約一五キロメートルで北進し、右側に建物や植木等があつて見とおしのきかない約九〇度の角度で右に屈曲しているカーブ手前にさしかかつた際、右側の植木の間から対向してくる荒井伸子運転の普通乗用自動車を右斜め前方約三二メートルに発見し、約四・八五メートル進行した地点で停車したが、このような場合自動車運転者としては、道路が狭いので対向車との衝突を避けるため自車をできる限り道路の左側端に寄せて停車する等の措置を講じ、もつて事故の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのに、不注意にもこれを怠り、漫然道路中央で停車していたため、同人の自動車の右前部を自車の右前部に衝突せしめ、よつて同人に対し、加療四三日間を要する外傷性頸椎症等の傷害を負わせたものである、というのであるが、前示判断のとおり、右公訴事実については犯罪の証明がないから、刑事訴訟法四〇四条、三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをすることとする。

以上の理由により、主文のとおり判決する。

(裁判官 中原守 横山義夫 宮平隆介)

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